1%のひらめきはどこから。
誰もが知っているであろうエジソンの「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」という言葉。
常にその言葉の意味を考える。
調べてみると、努力がいかに大事かということ。というものとひらめきがないと努力が無駄になるというものが出てくる。
自分は本当にこの言葉の意味を知りたい。天才と呼ばれたいから。
「努力家になろう」とか、「今やってることを全力でやろう」とかそんなものは閃いていない自分のような人間には宣言する資格すらない。
ひらめきとは、なんなのか。どこから出てくるのか。
エジソンは発明家だから目的や道筋ははっきりしていたと思う。
しかし自分はどうか。
どんなことで天才と呼ばれたいのか、どのように天才と呼ばれたいのか。いまいちはっきりしない。
人生においてのひらめきとはなんだろう。
そんなの考えなくてもいいじゃないか、と言われそうだ。学歴のあるやつ、真面目に社会に出れるような人はそう思うかもしれない。
しかし自分は天才になるしかない。そう感じている。
何か人より長けた能力が欲しいしその分野の「出來る」人間になりたい。
勉強はできなかった、アルバイトもうまくできなかった、自己管理でさえうまくいかない。
誰かにすがりつきたくもない。
99%努力するのなんて簡単だ、1%のひらめきさえあれば。
人生の道標がはっきりと見える日はいつだろう。
「死にたい」に逃げるのは悪なのか。
自分のような、ADHD気味で何をやっても思い通りにいかなかったり周りに迷惑をかけ続けているような人間はすぐに「死にたい」という感情でいっぱいになる。
ある時に気づく。「死にたい」はただの逃げ言葉でしかないと。
もちろん本気で死にたい時もある。しかし、常に何か失敗をした上での現実逃避としての「死にたい」の方が圧倒的に多いと思えてきた。
提出物が出せない、単位を落とした、遅刻した、無断欠勤した。そんなことはよくある。同時に死にたいと思ったこともその分あった。
失敗したら次はどうするか考えるべきだと周りから言われたこともあった。自分はそんな次元で失敗していない。次のどうするか考えている間にまた失敗するのだ。
そんな負のスパイラルとも言えるこの失敗ループに終止符を打つには何をするべきか。
正直まだ何も見つからない。
この世界は自分に優しくない。自分だけが恵まれていない。そう思ったし実際もそうだと思う。
ADHDの人なんて、自分よりもそう思うことが多いんだろうなと思う。なんでみんな淡々とこなせるようなことが自分にはできないのか。考えても考えても答えは一つ、自分がADHDだからなのだ。
アトピーにしたってそう。
でもそれは、自分が望んだわけではないし不真面目に生きてきたからでもない。
そして行き着く先は「死にたい」。
治らないとすれば、それはただ一つの望みである。
でも今回、そんな唯一の望みの言葉は逃げ言葉でしかないと感じた。
閉ざす必要なんてなかった、自分に一番期待していたのは自分だった。
なぜADHDやアトピーを治そうと頑張るのか、なぜ人と交流するのか、
過去の自分を振り返るとやはり自分の未来に期待している。
ここまでやってきたけどもう限界、そんな日が来たら「死にたい」なんて思う前に死んでいる。
そもそも生きてるくせに、飯も食うくせに、活動するくせに「死にたい」なんて思うのは違うのではないか。
ただ、逃げるのは間違いではないと思う。
自分は過去に何度も逃げた。できることを頑張ったが逃げた時もあったし最初から諦めて逃げたこともある。
これからは、「それでも生きたい」と思いながら逃げ続けることにする。
どこかで必ずチャンスは拾う。
周りの目が怖い
最近は頭皮の脂漏性皮膚炎が悪化している、
外出した時も。家にいるときも生きた心地がしない。
こんな季節なのに頭から水滴が滴り落ちる。
寝ていると枕が濡れている。
お風呂に入った後、ドライヤーをいくらしても乾かない。
乾いたと思ったら、髪の毛は十数本束になってくっついている。
頭皮の脂漏性皮膚炎なんてそんなもん。
頭皮から血小板が流れ出て、髪の毛を巻き込んで固まる、変な匂いつきで。
とにかく周りの目がこわい、入院したい。
皮膚科に行くと、薬で治そうと言われた。つらい。
外に出ると、匂いが周囲に出ていないか、髪の毛が変な風に固まっていないか、あれこれ心配で人の近くを避ける。
ある時、出かけるために乗った電車が満員電車だった、すし詰めで死ぬかと思った。
寝るたびに悪化する、風呂に入るたびに痛みと闘う。
こんな病気、早く治したい。治らないなら、、、
自分にとっての日常は世間的には非日常。#2
財布をなくして見つからない
先日財布をなくしたっきり見つからず、ついに諦めた。
財布をなくすなんて数ヶ月に一度はあるし、一ヶ月に一回ペースでなくしていた時期もあった。
しかしこれまでは必ず見つかっていた財布は、ついに見つからなくなった。
今回なくした時も「どうせいずれ見つかる」と思いキャッシュカードを止めずに放置していた。他の人からしてみればなんて危険なんだと思うかもしれないが、本当に見つかると思っていた。そして結局一ヶ月が経ち、ついにカードを止めて本当に危なかった、と後になって感じていた。
やっぱりADHDなのかな?
親に言われた一言を思い出す「財布なんて普通の人は一生に一回もなくさない。」
結局雑誌の付録のちゃっちい折り畳み財布で生活し、カード類は再発行している。
これもまた、財布をなくすという日常の一場面でしかない。これからも財布や大事なものは人より沢山なくすだろうし、失うと思う。
自分にとっての日常は世間的には非日常。
タイトルは最近気づいたこと。
今は学生身分なのだが、社会人になれない。そう思った。
そんな自分の日常風景を日記にして行こうかな。
オールナイトニッポンを聴きながら1人ホテルで自分反省会。
遅刻癖が本当に癖になっている。
最近アルバイトを無断欠勤した。いつかはするだろうと思っていたが誰にも言えないので、ここに書き捨てる。
その日のバイトは早朝からだった、アラームの音で目覚めたものの二度寝した。バイトにあまりにもいきたく無さすぎて体が起きるのを拒んでいるような感覚。意識的にも逆らえない。そのままシフトが始まるまで起きず、一日中バイト先から電話がなっていたのを出る事にも拒んだ。
しかし当然散々怒られたものの、バイトはやめる事なく、復帰した。
無断欠勤しても、これから直そう。とか、反省するとかそういう思いはなかった。それは今までの遅刻癖が治らなく、諦めているから。
開き直っている、と周りにはよく言われ、自分でも開き直っているようにしか見えないと感じる。でも開き直っているつもりはないし、なんなら直したいと常に思っている。
自分は小さい頃から時間が守れない。
部活動は朝練習に何度も遅刻して退部したし、宿題ややるべきことも期限までできず、結局やらないまま。ということが何度もあった。その度にうつ気味になったし居なくなりたい、と思ったことも両手で数え切れないほどあった。今のバイト先も自分の過去の先例と同じだし、このままやめるのかなとしか思わない。
遅刻癖が治らないのは小さい頃から積み重なっていったものだと最近になって感じ、悲しくなる。
ADHDなのでは?と思うこともある。実際集中力がない、片付けができない、一番顕著になっている遅刻癖等々、ADHDと同様の状態になっている。認めて障害者手帳をもらえるか相談しに行くか悩んだりもした。しかし国に助けられて生きるのはまだ早いとその度に思い、自力で生きていける方法を再び悩むのである。
まだまだ書きたいことはあるのだが、集中力があまりにもなくもう書けないので次回かけたら書くことにする。
暇なのでブログをはじめます
本当は暇ではありません。
が、今は暇です。(みんなそう)
かけるだけ、書いていきましょう。文章書かないと日本語忘れてしまいそう、、、笑
訪問してくださった方、中身のないブログでごめんなさい。(記事すらない)
拙い文ではありますができるだけ面白くなるように頑張りまs